則天武后について

則天武后は中国の歴史の中で唯一女性で皇帝になった人物です。
歴史的には、漢の呂后、清の西太后と並んで3大悪女と呼ばれています。
則天武后は、もともとは唐の太宗の後室にいましたが、様々な経緯から太宗の跡継ぎの高宗の皇后になりました。
その経緯とは、以下のようになります。
高宗のもともとの皇后であった王氏が自身の保身のために、則天武后を利用したということです。
王氏は、自身に子供ができないことがとても不安であり、特に子供が多くいた簫氏を妬んでいました。
その簫氏に対抗するために、則天武后に恩を売って自身の地位を安泰にしようともくろんでいました。
すなわち、本来ならば太宗の後室であったため、高宗の後室に入ることのできない則天武后をうまく高宗の後室に入れることで
則天武后に恩を売り、その則天武后が高宗の目に留まればライバルの簫氏を落とすことができると考えていました。
王氏の思惑通り、則天武后は高宗の後室に入ることもでき、高宗の子供を授かり、高宗の寵愛を受けることができましたが、則天武后は王氏の思惑の上をいく人物でした。
則天武后は高宗の寵愛を受けていると確信した後は、自身が皇后になれるように高宗や重臣に説いて回りました。
このような情勢を見た王氏は元のライバルであった簫氏とともに今度は則天武后を失脚させようとしましたが、これに対しては返り討ちに会い、
あえなく2人とも庶民に落とされさらには、死を与えられました。
則天武后は皇后になってからは、高宗すら邪魔になりこれを毒殺し、ライバルを殺し、皇帝になることができました。
そのやり方の酷さからやはり悪女と言われても仕方ないのかもしれません。